昨日、SEIHAチームに「攻城団」開発作業の一時中断を命じました。
先月30日のオープンを延期し、今月中旬のオープンを目指して連日の徹夜状態の作業。7月末から実質無休で過ごしている彼らの現時点の仕事の精度をみて、疲労困憊、憔悴しきった状態と、疲労のため、思考能力も落ち緩みきって緊張感なくダラダラとした状態を放置していては、永遠に仕上がらないと判断しました。
あえてかっこよくいえば戦線が崩壊する前に「後退」を命じたわけですが、内実としては大企業のように代わりの作業者がいないので、戦力温存のために引いただけのことであって、もし潤沢に作業者がいるのであれば絶対に引き下がらないポイントです。昨日も彼らには伝えたのですが、この点は血も涙もなく、私は損耗率の世界だと思っています。どんなに努力しても敵弾に倒れる兵はいますから。
つまり単純に開発作業が遅れています。
もちろん初めての経験で上手くいかないことは織り込み済みですが、本来であれば、この開発作業以外にも早急に着手すべき、未経験の重要課題は山積で、運営、プロモーション、営業活動など、ビジネスの成否において重要なタスクにまったく手が付けられていません。
なぜこのようなことになってしまったのか。
その原因は開発作業のチームワークの形骸化、それにつきます。本来であれば本部から指示された進むべき方面に向かって、どの陣地から攻略するのか、それを作戦立案、指揮命令するリーダー(リーダーシップ)が、このチームには存在していないのです。現時点では、本部から降りてくる矢の催促に、各個に自分が正面だと思っている方向にめくらめっぽう撃ちまくっているだけの状態です。
この点、チームワークの大切さをどれだけ口で説明しても、実体験として仲間と協調して目標到達を目指したことがない人には、なかなか伝わらないのだなと感じています。というのも、進捗遅れを指摘すると、殊勝なことに「ボクの仕事が悪くて彼に迷惑をかけています」というような発言が聞かれるのですが、それはチームワークでもなんでもなく、体の良い詭弁でしかないことに気づいていません。
本来であれば、目標達成のためには、双方に問題点を指摘し合って、一致団結その問題解決に当たらなければならないのに、つまり問題点には自ら気づき、はたまた横目で発見しながらも、自らそれを発言したり、相手に厳しい指摘をすることがないのです。それは烏合の衆。単なる隣席の同僚状態です。
だったらプロジェクトリーダーを配置すればいいじゃないか、という意見が聞こえてきますが、このブログを遡って貰えればどこかに書いてありますが、このSEIHAプロジェクトの目的の1つは人材育成。その人材とはスーパー作業者の育成のことではなく、企画担当者の育成を意味しています。
彼らがプロジェクトリーダーとして育つように、あえて責任を持たせて仕事をさせていくことに意味があると思っていて、実際に共通の目標に向かって邁進する「実体験」を今まさにやっている、というわけです。
昨日は、そういった長期的な視点から、会社は君たちを指揮官に育て事業拡張しようと投資をしているのに、自分のタスク達成しか視野にいれず、あまつさえそれが未達成でも平謝りですませている点を認識し、いちはやく改善して欲しい、そういう話しをしてみました。
こうなってくると、会社のカネを使って自己の栄達にだけに投資している人のほうが、道義的には問題でも能力的にはまだましです。
ただし、実際に彼らは無休で仕事をしています。これ以上、発破をかけようと思ったところで湿ってクタクタになった導火線に火がつきそうもありません。そう考えたところで、ふと彼ら自身の考えているこういった極限の状態で「頑張る」という認識が、私とそれと異なっているのではないかということに気づきました。
本来「頑張る」とは、やると決めたことを達成するために力を尽くし、最善を尽くすことを意味していると思いますが、どうやら彼らの「頑張る」という認識は、無理のない範囲で全力をつくすこと、という前置きもしくは天井があるように思いました。
心折れそうだ、とか、もう限界です、みたいな弱音は日々聞いていますが、実際、逃走したり倒れたりしているわけではありませんから。
ただ、ここで、いまさら認識のズレを確認したところで、それを修正する時間も無駄なので、言い方を変えてみました。
「もう君たちは頑張らなくていい、ただ真剣にやってくれ」と。
「真剣ってどういう意味ですか?(僕たちは真剣にやっていないということですか?)」と質問されたので、君たちは真剣じゃない。真剣勝負で負けたら死というような意識で、自ら設定した作業納期を一度でも守ったことがあるのか?ないよね。と
まだプロジェクトは絶望的なところに到っていません(というか、依然として好機が目前にあります)。そういう状態だからこそ、あえて一旦引いてそういう話をしてみました。そのうえで、やっぱり作業者としてしかやれないというならば仕方がない。それで限界を超えて倒れても私は知らないし、そうなったとしてもこの事業完遂のために、代替作業者を用意するだけのことです。
血も涙もないですが、それが私なりに嘘偽りなく真剣にやっているということで、大げさかもしれませんが、会社をたちあげてたった8年ですけど、綺麗事で事業が立ち上がるとは今更考えていませんし、形振り構わずだったからこそ、今があると思っています。
あ、ちなみに本部である私と河野さんのホットラインは本日も活性化していますし、すでに次を見据えた動きを始めています。
お互いプロジェクトの成功について真剣ですからね。
植村
通りすがりが感じたこと
>自らそれを発言したり、相手に厳しい指摘をすることがないのです
多事争論出来ることが大切ですね
関わらないでスルーしても何も良くなりません
挨拶が出来ること議論出来ること
自己犠牲が全体の益になることを知り
互いの自己犠牲に感謝することなど
テクニカルなスキル以外の社会性が大切です
そういう意味で運動会の効用が再認識される昨今です
katsuki
植村さん
コメントありがとうございます。
「社会性が大切」。私が言いたかったことの1つはそれかもしれません。
ソーシャルメディアを使って仕事をする人間が社会性を持っていない。考えさせられます。