仕事の話ですが、お茶の方です。今年前半、お茶会の計画をしているときに師匠が心配して掲題のようなお話になりました。そしてその心配は現実のものとなり。まぁいろいろありました。

現代は激烈な生存競争の上に情報過多です。差異をもとめて計画段階で大言壮語、美辞麗句を並べてしまいがちですが「ほんとうにそれはできるの?」と自分の胸に手を当てて考えてみた方がよさそうです。

基本的に飽きっぽく欲張りで、あれもこれもといろいろなことを試さないと気が済まない性質です。よく言えば事業欲で、それが企画立ち上げに大きな力を発揮することはあるものの、行き過ぎてしまうと事業を作るはずが、沢山の作りかけの残骸と参加者の徒労だけが広がる荒野を作ってしまいます。

いまはいかにそういった点を抑えながら、着実に実績を積み上げられる仕事の進め方を意識していますが、特に大事業を動かすためには組織の上部構造だけでなく、末端まで活性化する仕組みが不可欠で、それは人間組織の話なので計算通りに進まない点も含めて大仕事です。

とてもやることがたくさんですので「やらない」ことを増やそうと、まずは2つ決めました。

1つめは過剰なインプットをしないようにしました。特にネットで最新技術情報やニュースを追いかけなくなりました。電子出版関係も一切見てません。目前の仕事に集中して結果を出している限り(つまりきちんと人の役に立っている限り)、それを超えたところの情報は基本的に不要です。

心配になってたくさん情報を得たところで情報メタボになってしまって、暇で恥さらしな人にいちいち腹を立ててみたり、自分の仕事とは関係ない分野なのに先進的な取組をしている人をみて不要な焦りを産んだり、とにかく無駄を産みがちです。

止めてみればたいしたこともなく、これは日々大変清々しいことに気がつきました。

次に効率を求めない。縁のある飲食のお付き合いは積極的に、身近な人だからこそ頻繁に。特に会社でそういう場を作ることを積極的に考えています。

この時期、会社の忘年会は不要というような意見もありますが、なんでも実力主義、効率化な生き方には「味がない」ことをお茶の先生方に教わりました。味のある大人。いいですね。

振り返ってみて、自分は効率万能実力主義の傲岸不遜な若者だったなと思いますが、そういう状態で上手くやろうとするとどうなるか?人間小粒になるんだなと思いました。

多少人に迷惑をかけつつも、面白おかしくやっていった方がいいのだろうと思います。あんまり真面目にやり過ぎると上手くいくものもいきません。これは家庭も同じであんまり完璧な夫や父親をやってるとダメになることも最近気付きました。

昔のCMで「亭主元気で留守がいい」ってのがありましたが、あれはものすごい本質を突いているんだなと思いますね。多少外で遊んでて「まったくもう駄目亭主」と言わせるぐらいがちょうどいいようです。

話がそれる前に締めますが、ようするに「ちょうどいい」具合に仕事を進めることが、本当に大きな仕事を成し遂げるコツのように思います。