今週は、お盆休みとして事務所はお休みにしています。
締切を抱えたりで、みんな完全なオフになっていないとは思いますが、秋からの仕事に向けてリフレッシュしてきてもらえればと思っています。
私自身は、多少業務時間を変更しつつも、いつも通りの一週間です。

このオンとオフに関連して、先日、プロ陸上競技選手のトレーナーをやっておられる方から興味深い話をお聞きする機会を持ちました。
その方は、トレーニングのときだけ特別な練習を集中してやることの弊害や、プロ競技選手として技術だけを磨けばいいといったお客さん無視の現状に疑問をもって取り組んでおられ、日頃馴染みのない世界の話ということもあって、とても刺激的な内容の話を聞けました。

要するに、日常生活の一挙手一投足、それこそコップの持ち方一つにしても、十分に身体を意識をして過ごすべきということなんですが、そうやって平常時に自分の体を自分の思ったとおりに動かしていないのに、緊張感溢れる競技中の大事な一瞬に、自分の力を存分に発揮できるというのか、という問いかけには、聞きながらプロ経営者として日々どうあるべきなんだろうと考えてしまいました。

明日は久しぶりに予定を1つも入れない日として調整しました。
完全にオフにしないでリフレッシュすることについて意識してみたいと思っています。

さて、8月までのテーマは「出直し」そのための「後片付け・準備」です。片付けはほぼ終わりがみえてきて、準備の割合が大幅に増えてきました。
すでに何度も書いているとおり、3.11の震災を契機にデジカルを大転換させました。

・1年半の時間と人員資金を投下した「攻城団」の開発中止
・紙部門専属の制作社員を大幅縮小
・事務所の坪数を3分の1に縮小移転
・”紙”制作主体の業態から転換開始

あっという間の5ヶ月でしたが、次第に落ち着いてくると、この2年ほどを振り返ったときに、かなり根深い問題を抱えたまま拡大志向を維持していたことがわかってきました。

例えていうなら3月までのデジカルは破裂寸前の水ぶくれのような状態であったと思います。幸いなことに早急な対応が功を奏し、破裂する前に処置はできたと考えていますが、そういった思いもあって、もっと伸ばさなければ!と、気持ちが焦ることも何度となくありました。

しかし、それでは傷口を悪化させるだけだと、人からの助言もあって途中で思い至りました。昨年のブログエントリーを読み返すほどに、これまでの自分には、そういった準備を整える辛抱が足りなかったなと思います。そういった自分に足りなかったことを、正面から痛烈に気づかせてくれたという意味では、3.11は私にとって天啓を授かった日になっていると振り返っています。

いずれにしても、覆水盆に返らずで、無くなったものを悔いても意味がないことです。転換を決めた当初は、散らかり積み上がったスクラップを見上げ途方にくれる瞬間もありましたが、1つずつ片付けていけばだんだんと見通しもついてくるもので、先々の準備の仕事が増えてくるに従って、改めてこれまで自分が積み上げてきていたことも再確認し、これなら上手くやっていけそうだと考えられるようになりました。

その最後の大きな後片付けも第8期の決算を残すのみとなりました。そして、上記の転換にともなって生じた損失や、これまで開発のために資産計上していたものすべてをはき出す決算とすることを、先週の経営会議で決めました。いよいよ正念場の3年目でもう後がないわけですが、割といまさらジタバタしたところでどうにもならんと、今の心境は明鏡止水といった感じで、結構腹も据わってきました。

それにしても創業来数年にわたって積み上げた資産を抱え、満を持して2年前に業態拡大に乗り出したのですが、これが無くなるのは本当に一瞬でしたね。何度か書きましたが、雪だるまのように膨らんでいくとか、坂道を転げ落ちるようにとか、まさに言い得て妙で、あれよあれよという間に厳しい状況に陥りました。そしてそうなったときに会社がどうなって、経営者個人の気持ちがどう変わるのかなど、非常に得難い体験をさせてもらったと思います。

そういった落日の速さを体感した今、まさに行き詰まっている日本の政治経済をみて、この先落ちていくのもあっという間なんだろうと日々考えています。

この季節、話題となる太平洋戦争の敗戦にしても、サイパンが陥落し東条首相が退陣する昭和19年の夏まで、国民は窮乏生活に耐えつつもなんとかなると思っていたようです。それこそ、悲惨な戦争だったとよくTVドラマになっている「特攻」や「空襲」それに「沖縄」そして「原爆」も、年表を繰れば、その後のたった1年間に起こったこと。
菅内閣は東条内閣の相似形といった論調もありますが、確かに首相が退陣するというのに、なり手が現れず盛り上がらない様子をみていると、そういった無力感溢れる現状も敗戦そっくりですね。いよいよ頑張れ日本のスローガンも耳にしなくなりました。

一旦赤字になったら積み上げた資産を食い潰すのは一瞬ですし、お客さんというのは今の現状を見て取引先を判断するので、過去どれだけ頑張ったからと付き合い続けてくれるわけもなく、これで原発をとめて電力資源の輸入を増やし電気代を高くして結果商品力を低下させた日本とどうして取引を続けてくれるのか、しばらく儲からない会社を経営してたからこそ、なるほどこれは大変なことと理解できます。

こういったことを書くと、まるで評論家のようでいやなのですが、今年はこのお盆休みの間に読んでいるこの本の影響もあって、そうなってしまった(会社を危うくさせたという)責任をどうとらえるのかということについても考えています。

日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦
日本海軍400時間の証言―軍令部・参謀たちが語った敗戦 NHKスペシャル取材班 新潮社 2011-07
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この本の元になっている番組も2年前見ました。それから耳にした感想は、旧海軍首脳と現在の行政機関を同一視するような、責任者が責任を取っていないというものです。最近の原発事故の対応とも相まって、東電や原子力関係の行政機関をみていて確かにそういった構造はあると感じます。

しかし、なんとなくそれだけでは批判をするめの批判を前提とした視点で、当事者意識を持たない評論ではないかと違和感を感じていましたが、本書を読んでいると、この番組の制作担当者も「なぜ我々は日本を崩壊させたか」という、最初に考案した番組タイトルの主語が、旧海軍首脳部にとどまらず、「戦後の平和を謳歌してきた私たちにもつながってくる」ことが、「徐々に、骨身に沁みるようにわかってくるのである」と書いてありました。

そして、読めば読むほど、老齢の海軍士官が反省会で述べている事が、まさにいま自分がこれまで敗戦記としてこのブログで述べていることと被さってきました。感じることは大きく2つあります。

まず最初に挙げたいことは、”そこ”に責任を本当に感じていたのかということです。

”そこ”というのは、先の戦争でいえば、特攻で死地へ赴かされた若者や空襲で一方的に被害を被った一般の被害者に対してですが、私にしてみれば、それは会社の経営を危うくして、残念ながら去って貰わざるを得なかった社員であり、大きな心配をかけている家族であり、相当の苦労を強いている残った社員に対してです。

経営者として、まさに”戦中”であった、2年前からどう経営の舵取りをすべきだったのか、どこで道を誤ったのか、そのすべての責任を本当に負っているのか、この場合、戦争責任ではなく”経営責任”という四文字ですが、それが非常に大きく重みをもった言葉として眼前に迫っています。

もう1つの視座は、この海軍士官たちが当時海軍の中堅幹部であったという点です。反省会が始まった時期は昭和50年代ですが、それは彼らの上司たちが次々と亡くなっていった時期であることも見逃せないと、NHKのスタッフは分析しています。確かに反省会では、なぜそこで開戦に反対しなかったのか、どうしてそんなことになったのか、と開戦や特攻を避けられなかったのかとの問いかけを彼らはしてはいますが、やはりどこか自分たちは当事者ではあったが、最終責任者ではなかったという意識があったのではないかと感じています。

読みながら、それはそのまま、今の日本で中堅を担う、働く現役世代にも問われていることなのではないかと感じています。この数年、社会構造が若年層に不利だということを前提に、私も自民、民主を問わず政権与党に批判的な意識をもっていましたが、今となっては菅総理が宰相としてどうかという以前に、果たしてそういったリーダーを支えている自分たちはどうなんだ、本当に嗤ってていいのかと自問しています。

これからまさに誰もが自力で活路を開いていかなければならない時代に突入していると思うのですが、だとするならば経営責任や当事者意識が自分には本当にあったのか、そして今あるのか、慌ただしい日々の生活ですがしっかりと意識をしていきたいと考えています。

第9期がスタートしました。今は経営責任と当事者意識という2つのキーワードをもって、なにより社長が姿勢を正さないとならんのだろうと思っています。
つまり、問われているのは、どいう社長になりたいか、ではなく、社長としてどうしたいか、に尽きるわけです。

このブログについても、会社や社員がどうか、働き方がどうとか、というような話題はもう書かないと思います。

自分がどうしたいのかということを考えまとめていくためにも、本来の目的であった、見聞をまとめていくことに主題を据え直してさらに続けていきます。