正月、そんなに根を詰めて仕事をするんじゃないと親父殿に言われながらも、まだまだ大丈夫とたかをくくっていたら、メニエールが再発しそうになりました。やっぱり遠くで見ている親の方がよくわかってるかもしれませんね。

年始早々こんなことではだめだ!と反省してペースを落として、なんとか1日めまいがするぐらいで直りましたが、肩が張って仕方がないので、この連休に温泉につかってきました。

休むためなのに、せっかく行くならと考えるところがいつも通りですが、見聞を深めるためドライブに出かけるのは好きなことなので(そのほうが休める)、予てより機会をうかがっていた湯河原にしました。

連休の中日、行きは西湘の出口でいつものように渋滞していましたが、思ったほど混でいませんでした。ただ帰りはいつものように厚木からの交通集中渋滞で、中央道の小仏トンネル同様、日帰り温泉好きとしては、これはなんとかしたいですね(早く出かけて早く帰ればいいんだろうけど)。

さて、湯河原到着してちょっと離れた駐車場から温泉の道すがら、どこにあるのかなぁと思っていたら、目的の温泉のすぐ直前にありました。

226事件唯一の首都以外の現場、光風荘。

当時の内大臣牧野伯爵(大久保利通次男)が、孫の吉田和子(吉田茂長女で麻生元総理の母)と静養しているところを陸軍大尉河野壽に襲われた事件現場です。

急遽出かけたので外から見られれば十分だと思っていたら、中が資料館になっているらしく運良く閉まる直前に入ることもできました。見たとおり小さな建物なのですが、中で地元おじさんに当時の遺品や周囲の話、数年前まで訪ねてきていた遺族の話など30分ほど個別に説明していただきました。

興味深い話ばかりで、襲撃直前まで協力者が密かに監視をしていのが、谷の向こう側にあるあの宿だよと指し示して教えてくれたり(他にも統合元帥が止まった宿とか)、建物自体は事件直後延焼したので再建なのですが、ここは当事のままという勝手口外の様子や、こういう形で撃ち合いになったなど狭い廊下で丁寧に解説してくれました。

あとは自刃した河野大尉が使った実際の果物ナイフや遺書もあって、最後の様子や大尉の達筆な院長への感状や割腹自殺の壮絶な状況、当時の避難救助の様子など、かなり生々しい話も聞けました。

226は75年ほど前のテロ事件ですが、折しも出頭してきたオウム真理教信者の潜伏もいつのまにか17年にもなっていて、自分としても割と最近だと思っていた事件も、こうやってだんだん時を重ねて歴史になっていくのだな(きっとこちらも背景にはたくさんの物語があるんだろうな)と感じましたね。

また、こうやって建物を大事にしていると縁のある方々も集まってくるようで、つい数年前まで関係者の子孫や遺族が訪問してこられてはいろいろな話をボランティアの方々に残してこられたようです。事前に調べずに出かけたのですが、期せずして内容の濃い話を聞けて、温泉に入る前にすっかり満足して疲れもとれました。

肝心の温泉ですが、人もそんなに多くなく、息子達に交代で湯船で肩をマッサージさせてのんびりゆったり、休憩の大広間もかなりゆっくりできて気に入りました。