昨晩テレビをつけたらゴッドファーザーをやってました。何度も見てますが、しばらく見入ってしまいました。

ちょうど末息子のマイケルが、打たれて入院している父親を機転を利かせて助けるシーン。このあと彼は、抗争相手と悪徳警官を撃ち殺してマフィアへの道を歩み始めるわけです。

そして、その打合せや、まさに抗争相手との会合のときに、彼らは飯を食ってるんです。一緒にご飯を食べる、という感じじゃなくて、まさに飯を食う。黙々と食べているだけなのに何であんなに様になるんでしょうね。

どこでどうやって食事のシーンを撮るのかというのはきっと映画やドラマでは重要な演出ですね。都会のしゃれたレストランで食事をする、田舎のダイナーで食事をする、家族で食卓を囲む。それぞれにいくつかパターンはありますが、だいたいどういったシチュエーションか、想像がつきます。

しかし、ゴッドファーザーに限らず、日本のやくざ映画でもそうですが、マフィア映画で一緒に飯を食うシーンというのは、ファミリー、一家としての絆を実感させるものがあるのかもしれないと思いました。それこそ”同じ釜の飯を食う”。だからこそ敵討ちや裏切りもより映えるのかなと。

確かマルサの女の冒頭で、地上げ屋連中がカニをむしゃむしゃ食べているシーンがありました。すごく印象的で今でも鮮明に目に浮かびますが、まさにバブルのいやらしさの象徴のようなシーン。そしてその頃と真逆の今の日本。それを象徴するような食事シーンってどういうものなんでしょうか。

あ、食事前にみんなで黙々とiPhoneで写真撮るとかか(笑) あれって、何を象徴しているんでしょうね。

それにしても一緒に飯を食うというのはやっぱり大事だなと思いました。絆を大切にするなら一緒に飯食わないとダメですね。今やっている社内プロジェクトがリリースしたら、また旨い飯食いに行きましょう。

以上、仕事のこととみせかけて、実は単に食事抜きダイエットを始めて、より食に敏感になりつつあるという報告エントリーでした。

そうえいば獄中の堀江氏が25kg減量したとか。今回は絶対に圧倒的な減量。食事制限するから食べられる食事には神経鋭敏になります。