昨日、Twitterを辞めようかなと思って、そこで繋がっている人もいることに気付いて辞めるのは辞めました。

今までTwitterのTLを見ていて、現実との間に横たわっている違和感をうまく言語化できなかったのですが、昨日読んでいた本で、その違和感の根源はこれかもしれないなと思いました。

ネット世論を野党だと考えることにします。

もちろん有益な発言もたくさんあるし野党だから悪いわけじゃないですが、その発言が自分の責任の末端に繋がっていない言いっぱなしの発言に耳を傾けすぎては物事を見誤るし、ツッコミばかりでボケがない(許さない?)、そういった空気感はやっぱり正常じゃないなと感じています。

責任ある立場では言えること言えないことありますし、反論したくともその時間を本当に使うべきところに使うべきと考えます。そして主流の側にいなければ現状の危機感を敏感に体感できないし、改革の現実は美しい論理だけでは実行できないことばかりです。

電子出版関連の記事を見てて、あ、これはほとんどが野党だなと。

もう一つそれを気付かせてくれたのは、あるブログの電子書籍に関する記事でした。彼が書いた記事が反響を呼び、そこに反応していたコメントを冷静に分析しながら、彼はそういった上から目線で論評するのではなく一消費者として書いていくという姿勢を示していて、そうか自分が耳を傾けるべきはこういった人たちだな、と気付きました。

野党でも、いつか与党に成るつもりでいる野党と、万年野党で開き直っているもの、また与党でも野党的な立場で責任を取らない人もいますから、そういったところは見分けられるようにしたいと思います。

それにしてもツッコミばかりの人は、いざ痛いところを突っ込まれるとショボイですよね。先日の週刊朝日の問題を見てても、マスコミですらそうなのだからネットで大口叩いている人も推して知るべしだと思います(中にはそういった感覚の通用しない強者もいますが)。

裏返すと、野党の目障りな発言にいちいち反応したり、それは違うよと腹を立てたりしている方が器量が足りないということで、批判のための批判など聞き流し見逃す図太さを身につけなければならないと気付きました。

夢を語るのはいわばボケですね。そして夢の無いところに計画は生まれるはずもないのですから、自分はこれからはツッコミを恐れずに、まずは信じているところを語らなければならないなと考えています。

新しい動きを始めると いろんな人が近寄ってきますからね。人間関係、痛い思いをすればするほど目は肥えてくるものだなと最近実感しています。

というわけで、これまで批判するものは排除しなければと思ってましたが、そうではなくて、普通に付き合ってまずは話を聞いてみて、それから判断して聞いたり、聞き流すタフさが必要です。