息子が間もなく高校受験です。

何度か「大丈夫なのか?」とは聞きましたが、勉強しろとは一度も言いませんでした。勉強しない親の子供は勉強しないと思っているので、人に言う前にお前(自分自身)がもっと勉強しろ、まったく足りてないだろうと思っているためです。

実際、いくら勉強してもこの先行き不透明な時代に経営をするにはまったく間に合いません。よしできた!と思ったことが、翌月にはひっくり返っていることが当たり前のような状況です。

今でも家族の語りぐさですが、受験勉強というものをまったくしていませんでした。本当に興味も危機感もなく、おかげで合格は1つずつです。それでも受験勉強しておけばよかったなとは思ったことはありませんでした。無駄なことせずに済んだと思ってました。

唯一、研究職に就こうと思ったときに、大学で課外活動ばかりだったことを一瞬後悔しましたが、その分、課外活動で(今思えばですが)「経営」する仕事に就こうと思うきっかけとなる先生に出会えたこともあり、それで今に至っているので結果オーライです。

もちろん受験勉強が役に立たないとはまったく思わず、いわば元服のような通過儀礼と思えばよいのではないかと思いますし、実際自分も、さんざん尻を叩かれて、なんとか行けた高校が良かったので今があると思います。

でも、やっぱり通過点でしかないし、社会に出てから勉強することの方が断然面白いですね。

結構な投資をしてもう10年近く茶道と経営と二人の師匠に師事し続けていますが、とにかく師匠からは、世の中を見る目と社会での立ち居振る舞いについて、テクニカルなことだけでなく、精神的な部分からも学ぶ機会を頂いています。

どちらもまだまだ極みに達していないし、それを目的に邁進してきていたのですが、最近、たとえば茶名をとることを目的にお稽古に励むことが間違っていたということに気付きました。

茶名とってどうするの?どうしたいの? それって要するに受験合格と同じではないのかと。

経営にしても同じことで、素晴らしいB/Sを作ることが目標ですが、それを顧問に見せ「どうです先生」と言いたいと思っていましたが、それでどうするの?どうしたいの?と考えてみると、評価を求めることが目的なのか?違うだろうと。

綺麗なお点前と褒めて頂くこともありますが、先生方の会合などに混ぜて頂き、会食で和やかに楽しく教養ある話を楽しんでいる(ように見える)先生方をみていると、お点前ができるとかナンボのものだと思いますし、いくらB/Sが美しいからと社員が楽しく働いていない職場でふんぞり返っていても何の意味がありませんね。

そういった視点で考えると、日々お客様からサービスや商品の質について物言わぬ声でいろいろなことを教えてもらっていることにも気づき、それに対して勉強し続けられることの有り難さを実感します。

なにやら堂々巡りですが、何かを得るために勉強するのではなく、勉強し続ける(られる)ことを感謝するというか、楽しめる状況を維持したいなと考えています。