CSI:科学捜査班、グリッソムやホレイショみていると、今のアメリカ人にとっては、ああいう一見クールに見えるけど、内面は滅茶苦茶熱くって浪花節というのがヒーロー像なのかなぁと思います。日本のドラマも似たようなテーマが増えてて、主人公の設定などかなり意識しているんだろうなとは思いますが、決定的に間違っているのは、そもそもドラマの構造が「群像劇」だから面白いのであって、科学捜査がテーマだったから面白いわけではないということ。もちろん、そんなこと素人に言われなくても現場の人にとっては百も承知で、実現しようにも世界的な市場で作っているドラマと比べられても、という思いもあるんでしょうけどね。

と、CSIは、NYやマイアミも後からできましたが、なんで最初に舞台設定をラスベガスにしたんだろうか?と、そのあたりよくわかりませんが、毎回みていると否が応でもラスベガスっていう街に興味を持ちます。皆さんご存じのとおり、ラスベガスは砂漠の中に作られたギャンブルの街。最近、映画「バグジー」が、ラスベガスにカジノ付き大ホテルを最初につくったベンジャミン・シーゲルの話だと知って見たのですが、ものすごい滅茶振りですね。ああでもしないと街は作れないものかとその情熱に圧倒されました。

さて、ドラマに映画にいったいどんな与太話かと思われそうですが、ラスベガスを作ったアメリカ人に見る、いわゆるフロンティアスピリッツというものがどういう情熱を指し示していて、翻って自分がいかに日本人的な気質に染まっているのか痛切に実感してるという話です。

要点はこうです。一人の情熱ある(この場合、しかない、のかもしれないが)男が、砂漠にカジノ付き大ホテル、フラミンゴ・ホテルを造った(造ることを決めた)。そうすると、そこに面白みを感じた有象無象が集まって最終的には世界的な観光都市ができあがった。観光地をプロデュースするのに、コンセプトアトラクティブという考え方があると以前もブログに書いたのですが、ラスベガスの場合は、観光地となるホテルそのものをゼロから造ったというところがさらにスゴイ話です。

で、どうしてアメリカには、自分にとって参考となるウェブメディアが多いのか、シリコンバレーの話を読んでも、天の邪鬼な自分には、ほんとうにそんなにスマートでクールにやってんのかね?と疑問だったのですが、ラスベガスのような街の作り方を体感しているアメリカ人という視点からみると、ああ、ウェブが彼らにとって新しいフロンティがであって、そうやって情熱を傾けているのか、としっくり納得できた気がしました。

どうしてこんなことを今日、思ったのかといえば、先週の河野さんとの事業戦略MTGで、危うく誤った戦略を選択するところを間違いを正してもらったためです。ウェブメディアを作ろうというのに、そういった本質を押さえずして、どのサービスがどうだとかレビューを繰り返したり、または、ツールやデザイナーを増やしても、ほとんど意味がないということ(それはやって当然だという話)。必要なのは、作ろうとしているものが「人が集まる」ものなののかどうか、ということであって、集めるためにやっているのか、作るためにやっているのか、胸に手を当てて考えたら、前者を考えつつ、実は一生懸命後者の戦略をとっていました。

どうしてそうなんだろう?と考えてみて、日本人のメンタリティなどと、大雑把な議論にしてはダメなのはよく分かっていますが、それでも、もはや原野を開いて都市を作ろうなどという場所すらリアルに残っていな い国土に生活していたら、人が来るようにするためには、もっと道路を造ろう、どうせなら高速道路がいいんじゃないか?いや新幹線があったほうがいい。とい う発想になりがちなんだと感じています(政治家や官僚を笑えません)。自分では、既存のシステムから独立して考えられると多少自惚れているところがありましたが、待ったくの誤り。どっぷり現体制に使っていると思い知らされています。