来ましたね。大上段に。偉そうですね。でも、実務家としては言葉遊びは一秒たりともしたくないので(こういう難しい話は河野さんに聞けば終わることなんだけど)、頭のいい人たちにもっと考えてもらって、いろいろと指針を授けて欲しいために、わかった風な知ったかぶりを書きます。
この本、先週読みました。
| 街場のメディア論 (光文社新書) | |
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内田 樹
光文社 2010-08-17 おすすめ平均 |
大学の講義をまとめたものだそうで、メディアとは何かについて、「生命の危機に直面しても伝えたい使命感はあるか」とか「世界の成り立ちについて理解を深めることができるかどうか」とか、改めて、なるほどと思えるわかりやすい指標を持つことができました。「贈与経済と読書」の話も納得いきました。
そして、最後にタイトルにあげたミドルメディアについて「わけのわからない未来へ」というタイトルでまとめられていたのですが、内田さんのブログにも書かれていたのでリンク。
ミドルメディアの定義は、佐々木さんの本によると、
「特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報」(52頁)
ということで、これは理解できます。また、そういうウェブサイトを作ってみているのでそうだろうな。と体感的に。そして、それがビジネスとしては、
このミドルメディアをどうやってビジネスに結びつけるかという論件がこのあと展開するのだが、上に述べたとおり、ミドルメディアをベースにするビジネスはどう転んでも「小商い」になるしかないと私は思う。
というところも、マスメディア的な商いに対してという前置きで、小商いというのはその通りだと痛感しています。しかし、
そして、「小商い」でいいじゃないかとも思うのである。
は、ちょっとひっかかります。本当に小商いのままでいいのかな、小商いでしか存在できないのかな。と。それでちょっとこの疑問は置いておいて、
中間共同体の共同性は「うまく立ち回ったもの」に傾斜的に利益が配分され、「しくじったもの」が損をこうむるためのものではなく、そこに蓄積されたリソースがメンバーたちにフェアに分配されるための共同性である。
だから、ミドルメディアは本質的に「反資本主義的」なものたらざるを得ないだろうと私は思う。
ミドルメディアが支配的なメディア形態になるだろうという見通しは蓋然性が高い。
けれども、そのミドルメディアを使って「どうやって自己利益を増大させるか?」という発想をする人は、たぶんこのシフトの歴史的な意味がよくわかっていないのだと思う。
大体のところは納得いきます。なにしろ資本主義のルールを毎日厳密に守って活動をしていて、それに飽きたらず、その先端のルールであるベンチャーファイナンスも勉強しようとしているところなので。ところが「この先もこのままなのかな。実は新しいルールがあるんじゃないかな」という懸念がずっと根底にあって、なんとなくですが(ほんとなんとなく)、ありとあらゆる企業は公益を見据えて(きちんと見える化して)企業活動をしなければ、利益そのものが出ない社会になりつつあるんじゃないかなと感じています。
いままではそういう公益っていうのは、松下幸之助の水道理論じゃないですが、いわゆる大企業にしか求められていなかったものが、これからは中小零細企業であってもしっかりと求められることになるのではと考えています。
一見するとミドルメディアの時代は、中小零細企業もしくは個人にやさしい感じがありますが、公益追求してなおかつ企業体としても利益を出すわけなので、実はまったく逆で厳しい世界なんじゃないかと思います。それこそ大企業の下請けで細々と食べていけたものが一掃されて、中小零細企業そして個人もメディアの最前線で、かつての大企業の優秀な人材と横一列になって、サービス生存競争に突入するということだという意味で(だからすでに能力ある人が個人事業として成功しているだと思います)。小さな会社をやっている身としては大きなチャンスではありますが、必ずしもそれ(小さいこと)が成功の秘訣とは言えないということですね。極めて当たり前のことですが。
ただ「反資本主義」ってのがよくわかりません。資本は不必要なんですか。こういったミドルメディアが存在できるのも、様々な社会資本(それこそネット)が日本のように充実しているという前提がありませんか。このあたりが釈然としないので、あえて言うなら「超資本主義」なんじゃないの?と思います。言葉遊びになるので止めますが。
ミドルメディアを使った活動は「コンテンツ提供者とその享受者たちのあいだでの人間的信頼関係が保たれる程度の小商い」というのがいちばん「つきづきしい」形態だろうと私は思う。
これはやっぱり、そうなのかなぁという疑問があります。新聞やテレビなどのマスコミを縮小した形のミドルメディアは確かに。とは思いますが、それは単にウェブメディア単体でビジネスを考えているからなんじゃないですかね。「小商い」というのは一側面しか見ていないような気がします。
収益を上げるってことは、イコール売上拡大ってことではないですよね? 単純にコンテンツの制作コストを低減させて、それをロスなく売れるなら生産性は高まるはずです。加えてミドルメディアで売れるものは、関連商品は当然でしょうけど、その先にはもっと大きな、人間の行動を促進するサービスもあるように思えます(ちょっとだけ昨日のエントリーに被っている)。
改めて、
中間共同体の共同性は「うまく立ち回ったもの」に傾斜的に利益が配分され、「しくじったもの」が損をこうむるためのものではなく、そこに蓄積されたリソースがメンバーたちにフェアに分配されるための共同性である。
という場合のメンバーたちというのは単にメディアスタッフのことだけではないということで理解しています。だからこそ公益を第一に考えていかないとそのメディアの企画立案は難しいだろうし、それ故にソーシャルメディアを基盤に使うという理屈なのだろうと思っています。
ただし、その中間共同体を1つだけしか運営できないというルールもないわけで、そのリンクの先に繫がっている人たちの情報、物、人そのものの流れ、すべてから収益があげられると考えるならば、それは小商いなんかじゃないんじゃないの?と考えています。
考えていますが、考えているだけではダメなので、実務家としてはそこで成果をあげて(収益をあげて)これを立証します。そして、その仲間となる優秀な人をこれから集めます。小商いだと公益は追求できないと思うので。



電子メディアの欠陥が抜けているが
メディアの自縛。
良書だとは思うけど、、
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