この週末は、ほぼ全社員どこかで仕事をしていたようです。

正直いって社長の私がいうのもなんですが、休みが取れないほど仕事をしなければならないのか?そこまでして会社のために働く必要があるのか?と思います。しかし、未熟なために業務時間内にお客様に求められているものが用意できないのであれば、それは頑張って仕上げるしかありません。また、腕が上がって売れたら売れたで、今度はひっきりなしに依頼がきてやっぱり休めません。

それというのも、そもそも我々がやっている仕事が本来的には社会に不要なものであって、社会に不要なものだからこそ認められるように骨身を削って売れる努力をしなければならないし、認められたら認められたで希少価値がついて止められなくなるし、それで引き合いが増えたら面白くなってなおのこと止められなくなるし、そういった仕事の過程そのものを楽しめて、人生の一部にできる人のための仕事だと思っています。しかし、特に不必要だからこそ、それが認められたときの付加価値はより高くなりだから収益率が高いわけだし、その過程自体もなかなか得難い体験が多く、なにより刺激が多いので仕事に飽きることもないわけで、これと逆の仕事もあることを考えて見れば、やっぱり自分は今の仕事を選ぶだろうなと思います。

ただ、本来的に定時で一斉に作業を初めて一斉に終業するような仕事ではないので、9時定時にして暫く立ちますが遅刻もないし、欠席もほぼなくなった現状では、そろそろ勤務体系を見直して、各社員が勤務体系を自ら組み立てられる仕組みにしていこうと考えています。そうでないと勢いだけで根詰めてやっていたら早晩焼き切れてしまうだろうし、そうなってしまっては元も子もありません。本当は自分でストレスフルな仕事に対してコントロールする術を身につけるべきでしょうけれども、環境を作るということではやはり私が考えてルールを変えていくほうが正しい手法のように思います。基本的に事業部単位で目標達成しているところから変えていこうと考えています。

そうやって骨身を削って、身を粉にして働くべきだといっても、実際は私自身も楽して楽しみたいと思うタイプなので、どう工夫すれば早く帰れるか、どうやったらこの作業を自分でやらずに誰かにやらせて仕事を片付けられるか、ということを一生懸命考えてきました。お陰で割とすんなり社長業を始めることができたと思いますが、大きな誤算だったのは、うまくやって仕事が増えて面白くなればなるほど、そして儲かれば儲かるほど、一方損したら損したで、いずれにしても社長には一時の休む時間もないということです。いや、上手くやろうと思ってやればやるほどどんどん自分の時間がなくなっているように思います(笑)

この点については松下幸之助翁も社長は少し哀れなほうがいいと言っているのでこの先ずっとそうでしょう。起業して社長になろうと思っている人よく考えた方が良いですね。肉体的にも精神的にも本当に休めませんよ。

ちょうど一年前は禅寺に行っていたのですが今年は行けませんでした。ただ、座禅の呼吸方法を学んでから、これはかなり効果があってちょっとやそっとの重圧では動じなくなりました(と思いたい)。一方でやはり環境を変えることについては意識的にどこかに移動するということはやったほうがいいようで、この週末も時間がないなか、いま少しでも充電しておかないと電池切れになるかもと思い、日曜の午後一人でかけてきました。

本当は一人は耐えられないんですよね。しかし最近は週末ともなると、やれ野球だバレーボールだ友だちだと子供は誰もいません。日頃好き勝手に家を空けてて、家で子供が騒いでいたら五月蠅いと怒鳴っているくせに、休日になって突然一人寂しいのは耐えられない。やっぱりオレ様なのでしょうか。なのでしょう。でも女々しくぐたぐだ悩んでいても余計に腐ってくるばかりなので、ひとまず今回は中央道を目指しました。

(つづく)