昨日は定例の経営会議でした。
今回は場所を変え先生の事務所の会議室で行いました。西新宿の高層ビル内にも関わらず質素な造作のオフィスで、それでいて思いも寄らぬ従業員の方々の会議中の細やかなサービスに毎度のこと感心します。
先生自身が40年近い年月をかけて規模のある税理士法人を作った創業経営者であるということ、それも相当な修羅場をかいくぐってそこに到達しているということ、何よりも特異なサービスを提供されていること、そういったことを考えると、なるほど会社というのは、こういう風に作って維持していかないといけないんだ、ということをオフィスを訪れるだけで教えられます。
ちょうど先月の会議の翌日に地震があって、この1月、まさに奔走しました。以前も決断に次ぐ決断と書きましたが、これほど頭を使い心を悩ましたのは初めてのことだと思います。実は日曜日には、さすがに疲労が溜まって、というか心労で寝込んでしまいました。そして悩み考え抜いた結論といいますか、これだという相談ポイントを持って、取締役一同で伺いました。
それで会議が始まってものの5分。「いいですか社長、これこれ、こういうことでしょ?」ということであっさりと結論を出されてしまいました。それを聞いた萩原さんが「あぁ、今日はもう終了ですか(笑)」と言って笑うほど滑稽なぐらいあっけない解決。やはり一人頭を抱えていると分からなくなるものですね。だからといって、最初から答えを聞きに伺ったとしても、恐らく、それを真剣に実行しようと思うほどには覚悟が定まらなかったでしょう。
結論が出てしまえば後はテクニカルな話でしかないので、淡々と会議を終えたのですが、話をしながら、自分にとって震災が一つの判断のターニングポイントになるインパクトをもった出来事ではあったけどど、別にだからといって何かを変えようと決めわけじゃないなと、ずっと以前から考えていたことを実行する契機になっただけなんだなとも気づきました。
日本は変わるとよく言われていますが、私はすでに数年前からすでに変わっていると思います。自分の周囲でお付き合い頂いている人々を見ても、それは日々痛感しているところです。そして自分も早く変わらなきゃという焦りもありました。あ、こんなことを書くと誤解されそうだけど、紙の仕事を辞めるとかそういう仕事上の表層的なことじゃないですよ。
今回の震災を契機に、人々は考え方をリセットしていくというか、いわゆる戦後的もしくは高度経済成長的な呪縛から解かれて、過半を超える人が物事を真正面とらえて考え始めると思うので、以後は雪崩を打って社会は変わっていくんだろうなと、そういう理解をしています。いずれにしても、もはや自分の中では、これまでブログで書いていた焼け野原ニッポンではなくなってきています。
ソニーのファウンダーである井深さんは、終戦の翌日には上京してきて新しく仕事を始めたとのこと。自分もニッポン全体のことはともかく、まずは自社の立て直しを急ぎます。はやく陣取り合戦に参戦できるようにならないと。
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