ブログを書きっぱなしにしてたら、なんだか親父まで心配してるみたいなので。

強がりではなく、いろいろと面倒で大変ですけど、ガックリ肩を落としているわけではないです。

まさに今の状況のように、商売には浮き沈みがあるからと(そう思ってかは知らないけど)、立派な国立大出て公務員になって欲しかったようです。が、結果は大学は島流しで、やっと就職できたかと思ったら独立してと。望まない不安定な方向へ方向へと進んできました。

自分としては大きな組織に属して身動きがとれなくなるよりは、大変だけど、それでも自分の考えで自由に動き回れる現状のほうが、よほど安全だと今の今でも思ってます。

実際そのうち、戦後の遺産で社会にぶら下がるだけで、本当に働いてこなかった人たちがパージされる時代になると思ってます。少なくとも、たいした仕事もせずに高給をとってるおじさんたちをみてきて、そういう社会に変えていきたいと強く願っているので。貢献が求められるポジションにありながら、自己の利益ばかり追求してる人は(逆にこっそり働かないことで収支バランスを取る卑怯者も)軽蔑します。

今回、事務所は縮小しますが、それはあくまでも自分で先に決めたことです。せっかくここまで大きくしたのに・・・、と思う気持ちもあり残念といえば残念ですが、視点を変えると、水ぶくれでありメタボでもありました。

この先の時勢を鑑みて、想定よりもかなり速くいろんなことが変わっていくだろうと、予め戦略を変えたわけですね。この先希望的観測に基づいた方針で、挙げ句の果てに何もかもが破綻しないようにと。まさに地震に揺さぶられて覚醒したとも言えるかもしれません。

少し話が変わって。3年ぐらい前から好きな武将が、それまでの信長から家康になりました。

それまでずっと、苛烈な軍事的天才で、社会を世俗化した革命児といった煌めくばかりの太く短い人生、まさに漢と書く男って感じな信長に惹かれてました。

その点、家康なんてちっとも面白くないです。小説はどれも途中で挫折しましたし、たぶん学校の歴史教育の近世がつまらなかったということも影響してたと思います。江戸時代は百姓一揆で庶民は虐げられてばっかりだったって。

でも、長期的な経営を考えるほどに、信長や秀吉よりはやっぱり家康なんですよね。加えて自分も中年になったってこともあって、狸オヤジってなんだかいいなと。

それと、何より一番響いたのは、かの有名な遺訓。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに欲起こらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りを敵と思え。勝つことばかり知って、負けることをしらざれば、害その身にいたる。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるにまされり。

どうも本人が書いたものではないようですが、あの「鳴かぬなら・・・」よりもよっぽど家康の生き方を表現している言葉のように思います。そして、それぞれになるほどと首肯するばかり。

これ読めば読むほど、今回の縮小についても、この先の長いシナリオの一部と考えれば「よし、まだまだこれから」と思えますし、また「そのうちみとれよ」と臥薪嘗胆な感覚で、甘かった経営に気合いが入るなと。

最後に、今回まるでこの世の終わりかのように書いてしまいましたが、それをいくらガックリした表情で話をしても、自分の周囲の女性には、別に小さくてもいいじゃないと平然としているというか、そんなことどうでもいい的な反応に、結局、モノの大きさにこだわるのは男の安っぽいプライドなんだろうなとも思いました。

しかしながら、そうは言っても女性はアンビバレントなんで、実際にはそれなりにモノは大きくなければダメだとは思ってますけどね(笑)