「現実的には、」。

いくら前向きな気持ちでことを前に進めようと思っていても、「現実的には」という一言を吐くことで、良くて立ち止まり、下手すれば前向きに後退という、愚かにも最悪な状態に陥ってしまいます。

特に前向きに後退という状態は、本人は前を向いているのに「現実」が前へ進まないため「なぜだ!」と、極度のストレス要因となり、この状態でも前に進むだけの行動力がある人(要するに真面目な人)に心が折れる(折れそうになる)場合が多いのだと思います。

先週この件について見つめ直す機会を2度も得て、自分について2つのことに気付きました。

1つは、精神的に強いのだということ。なぜ強いのかについてはあえて書きませんが、いくつか自認する経験があります。もう1つは、その強さの半分が、「現実的には、」という言葉で、ほんとうに厳しい現実に直面し前進する事態を避けることによって、結果担保されていたということです。

要するに自分の能力を過大評価し、ほんとうに「現実」的な対応が取れていなかったということです。毎度毎度、良いところまでいってもう一歩先に進めない理由は、まさにここにあったのだと気付きました。

少し前から難局に当たって「前向きな気持ち」ではなく「前向き行動」こそが大事だということに気付いていましたが、「現実的に」そういった場面に遭遇したとき、自らの選択肢を「現実的には」幅を狭めてとっていました。

そして厳しい現実を「的」にはではなく、現実そのままに直視して受け入れるためには、その衝撃を和らげる具体的な緩衝材のようなものが必要だということもわかってきました。わかってきたというより以前から気付いていて実行もしていたのですが、現実を実態ではなく「的」にぼんやりと巨大なものとして受け止めていたが故に、いつのまにかその現実に押しつぶされていたように思います。

ガムシャラにやっていたころ、つまり仕事の規模が自分の手の届く範囲に収まっていたころには、たとえ大きな仕事を沢山もらったときにでも「一体誰がこれだけの仕事をやるんだよ(笑)」という(笑)があったはずなのですが、いつの間にかこの精神余裕が欠落していました。

「よし!これをやっていこう!でも現実的には、・・・」ではなく、「よし!これをやっていこう!」「で、一体誰がこれだけの仕事をやっていくんだ。俺かよ(笑)」みたいな余裕を上司が持たねば、直面した現実を部下が丸ごと引き受けることになって破綻してしまいます。

なんとしても会社のレベルを一段上に上げ社員や家族に報いたいと考えていますが、それは苦心して努力して(させて)成功した後にやってくるものではなく、楽しく余裕のある状態を保ち続けた先に到達する現実であるということですね。

で、やっぱり俺がやらざるをえないのか(笑)

まぁ、なんとかなるよと思っております。