バカッターに真面目にコメントや議論するとか、みんな余裕ありますね。暇人のバカッターはともかく、バカッターにいちいちコメントしている人の「暇」にも興味があります。
それで誰かが傷つくわけでなし、そんなにケシカランと目くじら立てることなのかと思いますが、駆け出しの20代、業務とはまったく関係なく勝手に編集部のホームページなんかを作ったりしてて、上司から「暇なの?」と言われていたことを思い出しました。
同じ24時間、しかも当時より時間の自由が格段にあるはずなのに、あの頃のようにチマチマと何かを作れなくなっているいまの自分からすると、確かに暇だったんだなと思います。正確にいえば、その暇はエネルギーの浪費ですね。若さ故の過ちというものでしょうか。
バカッターに関しては、馬鹿なことやってて楽しいだろうな、後で味わう苦い思いも同時に思い出になるだろうと思う一方、訴える経営者もいたりするそうですが、経営者として以前に一人の大人として馬鹿者を諭す言葉もないのかなと思います。バカッター問題がなくても、そんな人間力のない経営者だったら早晩潰れたんじゃないでしょうか。
しかしこの問題、最初に書いたとおり、バカッター本人やそれに振り回されている人々ではなく、バカッターに正論で絡んでくる顔のない人の恐怖というか不気味さの方が気になります。
よくわからなくて怖いので、最近はブログでもTwitterでも、フックの多い発言は控えるようにしています(多少はフックがないといけないので塩梅が難しいですね)。
特にブログは優れた出版ツールだと思うのですが、売れすぎる危険性は考えた方がいいように最近は思っています。
何を書いたらブログのアクセスが増えるのか、もう結構な年月書き続けているのでよくわかるのですが、アクセス数に一喜一憂したり増やすことは一切考えていません。あえて注目している数字はRSSフィードの購読数でしょうか。蓄積は増えるようにとは思っています。
ネット越しに文章を読んでもらうということでは、ブログも電子書籍も同じことで、以前は拡散力あるブログがあればそれでいいじゃないかと思うこともあったのですが、最近はテーマを絞り届く範囲を限定できるということにも価値があるんじゃないかなと考えています。
有料メルマガも閉鎖性がある点では同じですが、定期配信を維持するミラクルコンテンツを書き続けるにはスーパーパワーが必要だと思うので、電子書籍以上に人を選ぶだろうし役割も違うと思っています。
ブログと電子書籍の程よい組み合わせがいいんじゃないかなぁと思っています。
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