いったい誰がこんな言葉を普通に使えるようにしたんでしょうね。「擦り傷」なのに大騒ぎする人間のなんと多いことか。

最近はそういう言葉を投げかけられたら、「そりゃ傷ついたら痛いよね。だから?」と、一笑に付すことにしています。

道ばたで転んで擦りむいたとしましょう。血が滲んだ膝頭がジンジンしながらも、黙って起き上がって、応急処置して歩き始めるのが大人のあるべき姿です。

自分は当たり前のことを言っているつもりなんでしょうが、擦り傷で「痛い!痛い!」と大声を上げていたら、周囲がどう感じるかを考えてみれば、そういう時にどうすればいいのか想像がつくのではないでしょうか?

まず「心が痛い」なんて言うのをやめましょう。

ことさら騒いでいると、次第に周囲から、全く面倒なやつだ、いつまでも甘えやがって、と距離を置かれ(誰もそんな面倒なことを言ったりしませんが)、そのうち、自らが引き起こした問題とは気づかず、その疎外感に心が折れることになるんです。

いずれにしても傷ついたぐらいで声を上げてしまう人は、誰かがだっこして「痛いの痛いの飛んでいけ〜」と言ってもらうのを待っているんですね。

人は、隣人が本当に心を痛めていることを知ったら、それは重症患者を人が見過ごせないように、助けの手を伸ばすものだと思います。それこそ本当に痛い場合は、大怪我をした人が意識朦朧としていたりするように何も言えないし、場合によっては「大丈夫。大丈夫。大したことない」と言って意識を失うだと思うのです。

でも、本当に心が折れてしまった人に対して、人はひたすら見守るしか手立てはない、無力だと私は思います。人の心の緊急手術なんてできない。

だから、心折れるようなことにならないようにしなければならないし、そのためには多少の心の傷は辛抱しなければならないだろうし、傷ついた経験をもとに、どうやって傷を癒すのか、どうしたら傷つかないのかを学んでいく必要があるのではと思います。

お互いハードワークを標榜している萩原とは、それぞれの経験則に基づいて、いろいろな壁にぶつかって追い込まれている社員を見ながら、定期的に観測していることが1つあります。それは「心折れたら終わり」ということ。

制限速度を超えてぶっ飛ばしている社員、交通ルールを知らない社員、高速道路逆走社員。みんな一生懸命やってますが、ヒヤリハット社員がいっぱいです。

ある程度の事故は仕方がないし、多少の痛みを経験したほうが良いと思って、あえて見守るに留めることもありますが、それで挫折の末、再起不能では意味がないので、今はまずいと思ったらすぐに助手席に乗り込むようにしています。

それでも、心が痛いなんて言っているものは放置。前述したように、そもそもたいしたことないし、それでその人の心が折れたとしても、極めて当然のことで、当社には子供は不要だからです。