適材適所は経営をしていて「言うは易く行うは難し」をもっとも実感する言葉です。

まず大前提として小さな会社に予め「適所」を確保する余裕なんてありません。それに予め「適所」を余裕として持っておくなんて、そんな無駄な経営をしている大企業も、もはや沈み行くタイタニックだと思います。

そして、仮に「適所」があったとしても、そこにそのまま当てはまる「適材」なんて存在しません。そもそも適材の人はすでにその適所に自ら収まっている訳ですから。

もとは建築資材の適材適所からきている言葉ですが、建物の適所に建築材として使うためにはきちんと製材しないとなりません。適材適所の難しさは人材を適材として製材する作業にあります。

素質があるからといって、その素質を活かした部署で求められる仕事がすぐにできるとは限りません。またプロジェクトマネジメントどころかタスク処理の基礎が出来ていない人が多いです。

ほとんどの人が自分は「だいたい出来てる」と思っています。この「だいたい」がとんでもないくせ者で、自分は多少はできていると思っているので、適材になってもらうためのアドバイスを素直に聞いて貰えません。貰えないから完全にできません。

それに、だいたい出来たを幾ら積み重ねても絶対に仕事が完遂できないということです。一つひとつの作業を全体や完成を見通して調整しながら丁寧に積み上げないと仕事は完遂できません。これに気付かないと「こんなに頑張っているのに・・・」と落ち込んだり、「プロマネの頭が悪い」と目標未達の正当化をしがちです。

経営者としてもっともシンドイ作業が、この資質ある人材を適材にする作業ですね。それは摩擦、軋轢、対立のオンパレード。まさに身を削る思いで適所に1ミリの狂いも無く収まる適材に製材しなければなりません。

ただ、自らを鉋やサンドペーパーのようにして、身を削り傷だらけになりながらも人材を適材として適所に組み込めたときの爽快感は得がたいものがあります。

緻密な組木細工のように美しく堅牢で、外からどう組み合わせているか分からない、要するに楽しそうにやっているのにどうやって儲けているのかわからないようなチームで構成されている会社。

恐らくこれからの経営者は、そういうチーム作りの技術を持っていれば、大資本での大工場建設プロジェクト並に儲かるだろうと思ってます。

高収益な小さな会社ほど楽しいものはないです。さらに追究したいと思ってます。