震災から2年経ちました。
少し前に書いておいて考えがまとまらずアップしなかった記事です。記事中にある被災地訪問はもうずいぶん前にことになります。
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昨年、電子出版で協力頂いている大学の先生から「君たち一度津波被災地を見てきた方がいい。何も復興していないから。そして支援となるような熱量ある企画をやって欲しい。そういうことであれば応援する」といった言葉を頂いていました。
いずれ行かねばと思いながらも後回しになって数ヶ月。いつまでも後回しではダメだと、先月の平日時間をこじ開けて強行軍で出かけてきました。
確かに高台から見下ろしたその地は何も復興していませんでした。響き渡る重機の音も復興の槌音にはほど遠く寒空に響き渡っていました。
当事者ではありませんが、この圧倒的な現場をみていると、現実を受け入れるということは本当に難しいことだろうなと想像しました。いくら気持ちを前向きにしたところで、それだけでは現実は何もかわりません。また再起を図ろうと行動し始めたところで、なかなか変わらないであろう現実を見つめながら、さらに一歩を踏み出し続ける力。生半可なことではないと思います。
そうえいば「がんばろうニッポン」といっていた人たちはどこにいったのでしょうか。
先日、業績回復の経過を書きました。そこで自分自身のプロジェクトの残骸を片付けたことに触れましたが、目前の努力の結晶が一瞬にして産業廃棄物の山と化す瞬間は、まさに途方に暮れる瞬間でした。
幸いだったことは、さまざまな助言を頂けたということです。まずは受け入れること、少しずつ崩していくこと、この片付け作業自体に価値が眠っていることを信じること、片付いたところから少しずつあたら新しいことを始めること。
なにより片付けるために頭を下げて回ること、本当にシンドイ作業でしたが、やってみればなんのことはない、丁寧に頭を下げるだけのことです。それしかできませんし、命を取られるほどのことではないです。そしてなによりも自分で片付けること。
自分で散らかしたものは自分で片付ける。結局のところ、その後の糧となる失敗といえるかどうかは、自分で後片付けができたか、それともできなかったか、にかかっているのだろうと思いました。
しかし、私自身は自らの過ちを悔いるだけのことですが、ある日突然災害に遭われた方の喪失感たるや思いを寄せることはできたとしても、実感はおろか日々の生活の苦労を想像することすらできません。また3.11以来、私自身人を助ける余裕は全くなく、それは今でも基本的に変わりません。家族と社員のために働くことだけで精一杯です。
せめて自分の目前になる事業をきちんと経営し、納税して社会貢献をと思っています。また、エネルギー問題について関連する出版物を発刊することで、何らかの貢献ができればと考えて、いま企画を準備しています。
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都落ちなどと、今となっては大げさな表現を用いてから2年あまり。ようやく自分自身で作った残額の山はほぼ片付け終わって、今年になって新しく頼もしい仲間も加わり、会社自体も新たな息吹を感じられるようになってきました。
本日は経営会議でしたが、三年後の将来像を見据えて新たな事業計画を立ち上げることができました。
社外取締役にも今日はいい会議だったと評価してもらえましたので、私自身なおいっそう自信をもって進められると確信しているところです。
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