ブログリニューアルすると宣言してなかなか実行に移せていませんが(間もなくデザインの神が降りてくるらしいです萩原に)、昨日、大西からブログはこういう方針でお願いしますという直接的な依頼があり、そうだよなぁ、そういうことを書かないとなぁと思いながらも、一方で今のブログを興味深く読んでいますという声も聞いていたりするので、そうすると今度はそういう人は読まないだろうなぁとも考えています。

それならサブドメインで別テーマで1つ作るべきですよということで、さっそくドメインとブログは用意しました。が、正直なところまだそのテーマで書いて読者が集まるのか?そもそもそのテーマで集まってくる読者って同業他社だけじゃないか?とか、よしこれだ!とは至っておりません。

以下、雑駁な意見ですが。

本が売れなくなってるのは、読者を育てるというか、新しい読者すなわち明日のお客様となる人を作る目線に立っていない、要するに作り手の都合による本の制作と販売ばかりになっているからだと思うんですね(編集者だけが悪いんじゃなくって、営業も書店も、それこそ執筆者にも悪いところがたくさんあると思います)。

誤解のないように言っておきたいのですが、作り手の都合による本、いわゆる自費出版がダメだという話ではありません。読者のためといいながら、実際は出版販売する側のためだけに作っている本が多いんじゃないのか?ということです(ま、わかりやすく言うと資金繰りのために本を作っているということですが)。

自分の言葉を本のカタチで残したいという要望はとても大きいと思いますし、そこには著者をお客様と考えた編集者が必要なだけです(当社ではそれをこれからやります)。

で、日頃からそういう目線でウェブにも接しているのですが、ウェブの水平線上における、読者って一体どういうものなんだろうということを考えています。

これもまだ論理的な整合性がある話ではなく、単なる直感でしかないので違うだろうって言われたら、ああそうですか、としか言えませんが、ウェブって中途半端な書き手ばかりというのに異論はそんなにないと思うのですね(だから無料とか信用できないとかいろいろあるわけですが)、それって裏返すと中途半端な読み手ばかりなんじゃないかなと思っています。みんな2000円の本を買うときのように、購読している新聞ほどに、毎日真剣にウェブ読んでいるんでしょうかね。

でも、よくよく考えてみると、真剣に読んでいるものと、情報として流れ去っているものとあると思うんですね。だから、中途半端な読み手がいるイコール読者が悪い、のではなく、だからこそ読み手がどうあるべきなのか考えてウェブサイトを作っていかない(書いていかない)とダメなんだろうなと思っています。

これ簡単にいうとコミュニティを作るっていうことなんでしょうけど、私はこういうカタカナ使いたくないのでなんとか別の言葉で考えたいと思っています。で、言うまでもないことですが、真剣に読んでいるものが、何か新しいツールで配信されているから読んでいるのかというとそうじゃないし、単にアクセス数が膨大なものだからそうでもないし。日々ニュースで流れている新サービスどうよというのは、本質的な問題じゃないと思っています(いくらAppStoreでマガジンスタンドが出たとしてもね)。

いま水面下で執筆者と編集者の立場で有料メルマガの企画を進めているのですが、昨日、いずれ専門性高い巨大サイトに育てることを前提とした共同のビジネスとしてスタートさせることで合意しました。席上、今までにないものを一緒に作るということにあたって、どうして当社(というか私を)選んでくれたのかという話になり、そこにあったのは技術力ではなく(何しろ実績すらないんだから)、一言「信用」ということでした。

もちろん技術力は重要です。これが何もなかったら作ることはできないし、当社の社員も、日夜通常業務に加えて新しい出版を目指して技術開発に取り組むハードワークな日々でもあります。

しかし、ここで差がつくのは高々数パーセント程度のものだと思います。じゃあその技術力を補完するための「信用」ってどうやって築けば良いのしょう?それが本だろうがブログだろうが、読者のことを考える最初の起点じゃないでしょうかね。

ダラダラと書いてしまいしたが、リニューアルするにあたっては、何を書くのかテーマが大事なことは言うまでもなく、それを誰にどうやって読んでもらうのか、明確にしなければと考えています。が、そもそも自分は誰に信用されたいのかなと。

こういった話題、きちんと推敲してアップするべきなのかもしれませんが、それが正解なのかも正直わかりません。なんとなく、今日のところの考えを上げておくべきなんじゃないかということで、引き続き考え続けます。