2013-10-15 「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 | Chikirinの日記

40歳くらいになって、まだ一度も、「この前と同じレベルの成果を出すのに、次は前回より3割、かかる時間を減らすには、どんな方法があるんだろう?」と考えたことのないような人は、まじで「それはとてもヤバい状態なのだ」と理解したほうがいいですよ。

この数年、死ぬほどこの「生産性」について考えさせられたので実感できますが、もしも中小企業経営者という立場を選んでいなかったら、恐らくぼんやりと意味はわかっても、今のように厳しく実行には移せなかったと思います。

いや正確に書いておかないといけません。経営者になったから理解できたのではなく、経営者なのに「持続的に」生産性を高める組織の作り方と運営方法がわからず、結果手痛い失敗をしたために理解できました。

前にも書きましたが、誰も事業経営を教えてくれません。確かに有益な本や諸先輩の教えには答えがあって、たとえば一人あたりの生産高が60万円以下だったら、だいたいの中小企業は赤字になることはわかっています。しかし「じゃあ、どうしたら生産性を高くできるのか」という”ほんとう”の実施方法を教えてくれる人はいません。

生産性が低いことがわかっても、それを高める計算ができたとしても、その計画を実施する人が動いてくれなかったら、動いたとしても1回で終わって継続できなかったら、それは絵に描いた餅です。だから、生産性向上に関しては、計画立案も難しい仕事ですが、この日々の実施を徹底することがもっとも難しい仕事で、そこに必要なことは、一言で言うとやっぱり「人間力」ということになるようです。

その人間力なんて一朝一夕で教え学ぶことなどできはしません。それこそ、もがきあがき苦しんだ先にしか答えが無いもののように思います。だから教えてくれる人がいないということなのだと思っています。

1つここで勘違いしてはいけない大事なことをお伝えすると、ほんとうに人間臭い経営をするためには、その裏で緻密な人間心理の理解や数値管理の仕組みが必要だということです。事業は初期的には感で経営できます。それこそ自分も知識も経験もなくそこそこ上手くいきました。しかし、一定の規模になったとき、そこでヒヤリハッとしたときにどうなる、どうするかということです。

今振り返っても一番怖いことですが、スピードメーターがなく、ハンドルとブレーキがよくわからないクルマを走らせていると気づいたときの恐ろしさ。後ろに笑顔で乗っている社員やその家族がいとしたら。

最近、会社は小さな方がいいという本がはやっていてほとんど全部読みましたが、そこに書いてあることは、だいたいが徐行運転だったら事故してもたいしたことにはならないという話でしかありませんでした。

確かに自分の器を越えて何かをしようとすることは不幸に繋がりそうです。しかしいつまでも徐行ということは、残業続きの多忙な毎日を強いるとか、給料の低い状態を辛抱してもらうということだったりします。果たしてそれでいいのかどうか。

やはり社長は社員とその家族のためにある程度の速度のクルマ(生産性の高い会社)を運転していく必要がありそうです。そこに経済的な危険を負う責任があり、だからこそ会社の決断は社長一人にしかできないということもまたよく理解できます。

この場合において、生産性を上げるということは、要するにスピードメーターや燃料計をつけて、ハンドル、アクセル、ブレーキ、ミラー、それにナビを完備させ、その上で安全 運転を心がけなさい、そうすれば安全に素早く目的地に着けますよ、ということだろうと思います。

先日「仕組みを作る」のはハードワークだと書いたのですが、ゼロからクルマを開発して運転して目的地に到達するようなものなので、それはとてつもないことですね。

さらに、いまなぜこの生産性がさらに問われるようになっているかを考えてみると、従来のエンジンシステムが時代遅れになって燃費が相当悪くなっているためではないかと感じています。経済成長が求められる時代は、いかにして作るのか「How to」に集中すればよかったのが、成熟低成長の今は、それに加えて何を作るかが問われるようになっていると思います。

いままでは「どうやって作るのか」「どうやって売るのか」だけを考えていればそこそこ商売になっていたところが、それ以上に「何を」作るのかを考えないと付加価値が生まれない時代なんだと思います。そしてその「何」がまったくわからないということです。

このことは電子出版の事業を進めていて痛感していますが、秘訣は早く小さく失敗するということだろうと思っています。オールアップ方式で、小さな完璧な完成品をどんどん試作して、どんどんローンチさせていく。

しかし、従来の一般的な人々が認識する生産性の話(工場の生産性向上の話)は、いかに不良品を出さないか、ということです。テストでいえば誤答を減らすことに注力しなければなりませんでした。ところが、今求められている開発手法はその逆で、どんどん誤答を出さないとなりません。

それ(誤答をどんどん出すこと)が40代以上の偏差値世代にはとてつもなく難しい取り組みなんじゃないかなぁと実体験とともに感じています。