20090724-2

高山からは毎朝まんがデータがメールでやってきます。

すでに2週分ぐらいの連載予定タイトルは受け取っているのですが、それについては事前に何もいわずブログで感想を返しています。そうやってガチンコでやっていくほうが面白いだろうなと。

ところが今朝は予定とは違うまんががやってきました。

今日はもし予定通りに、例の内輪ネタまんがだったらブログになんて書こうかと悩みつつ出社してきたので、これはちょっと想定外。

実のところ、何も変わっていなかったら、今週で打ち切ろうかとも考えていたので、とりあえずもうちょっと様子を見ることにしました。

まんがやるんだから、やっぱり「まんが道」を地でいく気概がないとねー、みたいな話を昨日ちょっとしていたのですが、こうやって自問をするのは、悪いことじゃないと思います(だからといって売れるわけじゃないが)。

私自身は、こういう未知の段階に進む気持ちの変化を、いつもトンネルに入ることに置き換えて考えています。

最初は入り口からの光で前に進む道が分かります。華々しく、まさに後光がさし祝福を受けているかのような出発です。

しかし、前に進むにつれ段々と背後の光も弱くなってきます。それは物事を始めるときに、「やるぞー!おー!」と華々しく打ち上げて、しばらくすると日常に戻り、周囲の関心が薄れてくる、そういう様子のようです。

大抵の人は、まずはココで不安になってくるようです。このまま前に進むべきか、それとも戻る場所が分かるうちに引き返すのか。壁と表現してもいいかもしれません。

私の場合は、こういうところは無視してどんどん先に進みますが、ここで用意周到に懐中電灯を持っているのか、それとも懐中電灯の電池がなくなっても、絶対に後ろを向かず壁に手をついて探りながらも前に進む執念があるか、そういったことが重要になってくると思います。

そうこうするうちに、いよいよ光が無くなり真っ暗闇に。よく夜の闇が深いのは夜明け前といいますが、私の場合は、いよいよ進退窮まったという状況に追い込まれたときは、よしもうあと少しで出口だと思うようにして、やっぱり前に進みます。

途中で立ち止まって後ろ振り返ったり、行ったり戻ったりしているうちに、どっちに進めばいいのか分からなくなってしまうと思うんですよね。だから、”迷わず進み続ける”というのが一番安全だと思います。

こうやってトンネル1つ抜け出たときに、毎度何かが変わったと感じますね。伸びたというより脱皮したという感じでしょうか。

というわけで、まんが連載は来週も継続します。